諸寄駅
(山陰本線・もろよせ) 2011年7月
8日間の駅寝の末疲れ果て、横たえる骸となりながら、もう近畿へ帰ろうと東へ乗りっぱなしだった山陰本線、岩美を過ぎての但馬の海の車窓美にたまらなくなり、諸寄で下車した。そこには、この8日間と全く同様に、夏が相変わらずあり続けていた。当たり前のように、朝から空は抜けようなクリスタル・ブルーで、蝉はサウンドスケープを彩り、空気はまだかすかに涼しく、しかし早くも強き光線のつくる空気の何か禍々しき渦流、伝統的な家屋の御老人も、どこかで昔を思い出しながら、実はどこか色めき立っている、そんなことを喚起させるような、その夏が。
「もう全国どこへ行っても、こんな感じで夏なのか?」
それはラジオ体操にあるような、統一的国民意識を惹起させる。
鉄道もそうだ。国鉄という統一は、また国家統合の意識を作る。確かに民営化されている。駅名標もブルーだ。しかし、駅舎は戦前のものが全国で残存していて、過去の歴史を旅人に、否が応でも共有させる。
そういうのを見に来たんだろうか? いや?なんか違う気がする。どうせなら風情ある駅舎のある駅がいいと思って、ここに降りた感じだ。
甍の先の仄見える但馬海。飾り気のない古ぼけた木造舎。胸掻きむしられるような憧憬は、あちこちに転がっていて、蹴躓いてばかりだ。
駅は土感じる築堤上だった。諸寄の集落を二階から見渡す感じだ。それほど高くないのがまたよかった。駅の端の方は山に突っ込んで、ホームを探索する者に緑の臭いを嗅がせる。駅名標は押し倒されかけていて、学生の悪戯だろうか、それともしだいに傾いたか、とりあえずあるがままに、この駅は、こうしてここに存在しているの唄を謡じていた。
こうして駅がおもしろすぎないのもよかった。それは僕を自然と集落への旅へといざなった。鉄道の味は濃すぎず、町との取り合わせを考えてある、そんな料理的視点も感得された。
意外と大きな駅だったようです
駅舎には小手荷物通路の痕跡もあり、一線だけの停車場ながら、そこそこは大きな駅だったようだ。駅務室部分は取り壊されて、なくなっているようだった。
駅舎の中は涼しく、土っぽい黴っぽい臭いが鼻腔を突く。いつものあの駅舎のにおいだ。なに、いつもすぐに慣れる。よそのお宅におじゃましたときのように。
ショワショワ蝉の鳴き音が谺する。駅前が山だった。
こんなところでずっといたら、悪いな、と思った。涼やかで、ホームに出れば海は仄見え…仮にも諸寄の名を冠する町の顔である。長居はできない。誰も訪れる人がいなくても、誰もいないという駅のその尊厳を守りたい。
ホーム側にはないので意味ありませんが、かつてはあったのでしょう
駅前に少々感銘を受けた。集落から上がってきたところで、山前に駐車場、近いのに町から離れた感じで、こんなところで車を駐めてゆっくりできるのは、なにか理想的だった。ここに駐めて、パークアンドライドで鳥取に向かってもよさそうだった。
そして集落のほど近いこんな山の近いとなると、不思議はつきものだ。原っぱのずっと奥の方にヤマガ(山家)があり、また別のところには不思議の小径があった。それは海辺に小道できるが如くで、何か理由があったのであり、海山の暮らしの可視的な実生活に基づく自然なレアリザスィヨン(具現化)だった。
謎めいた長大なる近畿自然歩道、それが案内されている。魅惑の道だが、きっと誰かが踏破せんとまた奮闘しているだろう。
坂道はすぐだ。柴山駅のときより、ずっと短い。下りたところが、寺院とレンガ橋脚だった。なんで寺院とレンガ積みはこんなにもノスタルジックなのだろうか? それは南禅寺と導水橋の功績だろうか? 中世と近代との相克は、やはりどこかでマッチせぬまま、今に引き継がれ、それはマッチするものなのだと、評価が定められんとしている。近代が溶け合おうとして溶けきれなかった、その相貌が、寺院と鉄道線が互いに斜めの陣取りっていることに現れているようだった。
だって集落は島のように道細く、舟板壁が現れ、トロ箱やケースが積まれているんだから。けれど島のような沈滞感はない。海風が抜けていて、民宿もあり、何か夏というスパイスが、過去の思い出を、現代も続く様相で、活気づけていた。
突然町に繰り出したようで、自販機の唸りを僕の耳が捉える。ビールでも好きに買いたい気分だ。鉄道で来てるぞ? しかも最終日だ。買えなくはない、どうする?
「いや、今呑んだらブッ倒れるだろうな。ほとんど寝ずに真夏の朝にビールだから。」
海へ急ぐと、そこには何物にも代えがたいような、ひらける天然の良好な入り江と小島と岩礁の美、それが夏の瓦斯火で煽られて、くゆられて、蝉の鳴き音という蒸気が立ち昇り、かすかに遊泳客の歓声とウミネコが…
「来たか!」
海に来たというより、山陰は但馬、但馬のとある町とその海に来た感が強かった。一駅ごとにこんなコレクションを夏にするのは、僕の喜びだが、それにしてはあまりにも体はしんどく、もうツライと言っていいほどのものだった。眠い頭は血が昇って中でドンドン音を立て、もし仮眠せずに車の運転でもしたら、ほかの人の事故の可能性まで持ってきて100%を越える事故率になりそうなほどのものだった。いったい何徹明けの夏の朝だろう? もはや但馬の美の自分にとっての新たな光景を目にすることができたことだけが、唯一の達成だと感じられるくらいだ。
けれどこんな好天で今から寝なきゃいけないなんて、もったいなくてできない相談でもある。とかくよくわからぬまま、海へと繰り出した。
海は諸寄漁港の横で、なんだかんだとテトラ列もあり、娯楽と生活感がコンパクトにまとまった但馬の様式美だった。浜は白砂多くも、砂利もあって、過度に観光していない。水質はびっくりするくらい良く、白瑠璃の漣ささやかに砕ける。
地元の子らだけが、遊んでいる。民宿に泊って国道163を渡り、海で遊ぶのを想像しない人はこの地球上で誰一人としていない、そんな感じだ。国道通るは美を乱さなかった。交通量既にささやかなりて、宝石の地名冠した青看も、はや旅情のアイテムに過ぎざりけり ―
なぜにときに風景は僕を文語文人風にするのだろう? それはギリシア流の類型化された様式美を表すに好都合だからだろう。風景は、もう決まっている。美も決まっている。旅も決まっている。いうことも決まっている。それは近代様式と相性は悪くない。そもそもそこは古代と現代でさして変わっていない。だって都市は世界どこも同じ機能ではないか。同じでなかったら、機能しない。
交通量は散発的です
かつては全但バスだったのでしょうか
駅に戻ってくると、少々寂しかった。やはりここは少々寂しいところだ。海の歓声とともに過ごすには、鉄道はやや不向きかもしれない。鉄道に乗るような紳士は、海に入らないだろう。下手したら、彼らは学童期の戯れくらいにしか思っていないかもしれない。それはどこか学校で、無意識的に刷り込まれた近代人の完成の一助となるものかもしれない。二十歳も過ぎたらもう商社などに務めて、余暇も大人の余暇で、行きつけのバーがあり葉巻をたしなみ、こんな鉄道旅もなんかしないんだ、君たちはすべからく、この世の未来、トップを務めるかもしれぬ人であるからして、ぜひともスーツを離さず、電話を離さず、仕事をおもしろがってほしい、と。
鉄道は揺れる青年像の恰好の舞台だ。それは少年らしい夢と、そして大人なのに少年らしい国家的野望と、そして青年期の道別れと戸惑いと…
僕は精神科医にかかると、この病の原因はやはり少年期にあると言われるかもしれないし、或いは社会学者に尋ねると、もともとDNAの設計上そうなっていたといわれるかもしれない。
道別れのⅤ字の鋭角なところ、そこばかりを収集して、賞美しているかもしれない。明治青年期の迷いと憂悶が流行感冒に伝染と、自己の少年期の喪失と合致し、すでに天然痘のように固着したかもしれない。
病に冒されたを治癒するべく、旅に出たら、実は旅が病であったか、或いは病態を旅に変換しただけだった、そんなところかもしれない。
登山道かもしれません
個人的に徹しよう。だって我々に残された道はそれしかないのだから。批判や想念を喚起できないことほど、生きる意義のないこともない。