浜坂駅
(山陰本線・はまさか) 2011年7月
乗った列車が浜坂どまりだったから降りた、というのはよくあることだ。僕もこれで2回目だ。秋に降りたことがあるから、もういいかと思っていたが、夏の強い光線をまとった車窓や駅を見るとやっぱり下車してみたくなった。ちなみに、諸寄からは歩いてこれそうな距離だが、この真夏の天気からすると、乗るしかなかったと思う。
乗り換え案内などの構内放送を聞きつつ、人々は降りて、乗り継ぎ列車に身を収納させる。普通列車はここで運転系統が分かれるので、いったん浜坂のホームに足を付けることになるわけだ。
気動車のエンジンの感覚的なせいもあるのか、大ぶりな上屋の日陰にもかかわらず、息苦しいほどにまで暑い。うわ夏だぁ、と思う。秋でも十分だと思っていた。光線もまだ強い。けれど夏というのはなんでこんなにも旅人を頑張らせてしまうのだろう? みんなサウナに強制収納だ! がまん比べである。
夏の空気に旅の意欲は掻き立てられ、もはや抑えることはできない。睡眠不足の頭をどうにか首で支えながら、感覚的に誘われるがままに、僕は動いていた。
今は操作してません
精算窓口が残っています
静まり返った日陰のホームをとぼとぼ歩きながら、汽車時代の給水塔、国鉄時代からのフラップ案内板を確認する。変わっていないな~と思いつつも、ホッとする。
係員はいそがしいようで、客から旅程を聞き出し、長距離切符を作り、ともするとすぐ客がまたやって来る数人の列を捌く。重厚なラッチの外側から構内を覗くと、列車がヒルネしていて、なんとなし駅から鉄道に乗るという特別感を思い出す。
普通列車には子供のころから興味があった。プラレールで通勤列車と書かれた103系のおもちゃが欲しいと言ったら、そんなつまらないもの買うな、特急や新幹線にしろ、って言われたっけ。父はそういうのを自宅で見たくなかったのかもしれない。しかし不思議なことに古い普通列車は、子供の知らない時代をしっかり宿していて、まるでその時代を知っていたかのようになろうと努めるものだ。しかしそれのせいとは別に、どうしてもはじめんら知っているような気になってしまうあの子供時代のアレはなんなのだろう? もしかして親の心象的な記憶も子は引き継ぐのだろうか。
切符を求めるなどで夏の駅に来る人は、みな苦しそうだった。やっとの思いで駅までたどり着いたという感じだ。買われていく切符は新幹線や特急などを利用した遠距離が意外と多い。常に2,3人は人が列をつないでいる感じなのは、お昼休憩のこともあったかもしれない。駅員はやりがいがありそうかなと思いきや、駅務のこともあるようで、そうは言ってられないらしい感じだった。
浜坂ぐらいだと高速があっても、大阪・京都、東京への車移動はなかなかにしんどい。もうここから特急に跨った方が諦めもついて速い。姫路なら高速で往復4時間半。休憩がないとツラい。そんなちょっと中心から離れたところほど、旅情が密に詰まっている。
世界はすべてを等時間で結ぼうとして狭くなってきているが、その先にあるのは極端な普遍性だろう。そしてその極端な普遍性は、もはや普遍性ではない。だって、もはや普遍性という概念が必要ないではないか、その時点で!
夏の熱気を、暖簾で推す。頭の中の抽象論が白飛びを起こして消える。そしていつもの、浜坂温泉郷の歓迎の門。
「えっ、全然秋に来たときと違う」
光が、光がもう違っていた。浜坂とはこんなに明るいのかと思った。降りてよかったぁ、と心の中で唸る。しだいに地響きのようにそれが伝わってくると同時に、足は羽のように軽やかに僕の身体を無意識に運び、そしてその地鳴りはフェードアウトしていった。どんな物語もペン先から迸りそうな、そんな夏休みのいろんなコラージュが頭を駆け巡っていた。
メンストは昭和三十年代の商店街の趣きを一部残している。○○大明神 ― そんな横断幕が掲げられているのは、近々夏祭りがあるからだろう。
光は明るいが、海産物土産店は閴としている。カニのシーズンは中秋から冬だ。
本屋に通りかかると、自転車にまたがった少年がキキッと車を止めて、中に入っていく。何を買うのだろう?
店舗の列はすぐになくなるが、なんとなく商店街の雰囲気である。店主の名前を冠したような食糧品店をウォッチしながら、とりあえず海へと向かう。にしても ― コンビニやスーパーとは無縁なところだなと。ないならないでやっていけるというのは、本当である。
途中、さっきの自転車の少年が後ろから自分を越していった。カゴには分厚い週刊マガジンが入っていた。絵に描いたような少年だった。
ほどなくして海をやや見下ろすが、それは、なんかやけに輝かしい雄渾たる大洋だった。諸寄の雰囲気とは全く違う。かといって都市化でけがされた雰囲気も全くない。地図ではそういうのをイメージしていたが、これはむしろ意外である。こんなところなら海水浴しに来たいなと。街の便利さもありそうだし。
海からの帰り、また少年と出会った。少年はとある民家の縁側でさっそく週刊少年ジャンプを広げて真剣な面持ちで読みふけっている。本当にこんな少年がいるんだと思った。そういえば、自分はそういうの買ったことないなと。コミックは禁止であった。しかし元々その気(け)が自分になかったのだろう。もしあったら親の目をかいくぐってでも読んでいたに違いない。つまりは禁止と言い渡すことにはなんの意味がなかったのである。
駅前まで帰ってきた。始まったばかりの夏の暑さにうんざりしながらも、なぜだが空は爽やかだった。やはりここの移り気な空の秋を知っているからだろうか。但馬は秋でもいいと思っていた。しっとりしているし、なんとなくここに似つかわしい、と。もちろんカニも晩秋からだ。しかしはるばる旅しに来てくれた気団に覆われ、どんな土地でも異国のようにする夏の偉大さはには、ただただ感心と平伏あるのみだった。
蝉の鳴き音、頭を撃ち抜くような晴天、そして海… 秋に入った足湯の思い出も何もかも吹き飛んでしまった。
浜で出て帰ってきたので、待合室に入って休憩。シュラフの入った重たい鞄を置く。冷房も何もありはしない。沈滞した空気だけが、この街の名所の写真〳〵を息苦しそうに密閉し、これから始まるの夏の客を待ち構えている。それをちらと眼内に入れた見た客は、早く肉眼で見たさに早々に外に繰り出して、浜に行き、そして投宿、そこでご飯を食べて… 帰りはギリギリに寄せて、特急を少しばかし待つ。冬の日に縮こまって売店でホットコーヒーで暖を取りながら汽車を待つ内省的な女人はいない。もしいたら、僕はあの鎧駅を思い浮かべながら、不本意な縁でありながらも家に入り、家を支える姿を想像したかもしれない。これから遠方の親を見舞いに行く、その人の姿を― しかし代わりに夏の駅にいたのは、今にも干からびそうな爺さんだった…確かにこの気温はキツい。
なかなか気品高いアイテムが揃っています
もう帰るつもりで、米田商店でお土産を購入。ハイセンスな商品とディスプレイでなんかここだけ現代的だった。ごはんにカレーに味噌汁などもよそってもらえるようで、旅人にはありがたいところだった。けれど真夏で睡眠不足で何も喉を通らず…家でみんなで食べるようにと、手作りの肉巻きおにぎり3つと、地酒。お土産なら、もっとお菓子とかの方がいいんだけど、何か手作りのものを買いたくて。
豊岡行は少なかったけど、だいたいは鳥取からの乗り継ぎだ。こんな天気のいい時分に、豊岡方面に行くのもなんだかなという思いがあったけど、これ以上の旅にはもう耐えられなかった。あまりにしんどすぎる。
気動車は古式ゆかしきながらも眩しいぐらいの朱色の気動車。初めて見たときは、まだこんな車輛が走ってるんだと瞠目したけど、今は少し慣れた。
中は水色のシートカバーに焦げ茶の急行型椅子で、なんかチョコミントみたいだ。古いけど、なぜかきれいだった。古風な素材を使いつつ、何度か改装を受けているのもありそうだった。外観のことは忘れてしまうくらい、車体の色と合ってないけど、これはこれで車内は別の世界という一般論に通じる。後は海を見呆けて乗っていればいいってことだ。
最後に夏の浜坂駅を見られてよかったな、と思いつつ、気動車はガコンと動き出す。お土産も買ったし、もう降りないつもりだ。でも我慢できるだろうか?
動いている車内で考える。「でも好天であれば必ず出かけるなんてやっていたら、キリがないよ」 そう旅心に狂う自分に言い聞かせる。列車に乗ると、降りないと、と思うのは、貧乏性なのか、はたまた、駅旅人の性なのか…