青谷駅
(山陰本線・あおや) 2011年7月
だいたい始発1時間から1時間半前に起きる。今日は5時前起床。なんか人が来やすそうな駅だったというのもある。駅前探索が遅くなりすぎて、ラッシュアワーに巻き込まれる恐怖はいつになってもぬぐえない。といっても、この土地の学生たちが登校のために集まって来るだけだけど ― といっても、青谷はわりあい乗降客もある駅だ。
国鉄時代のサインが残っていますね。
昔は宿直駅だったのでしょう。
有人駅にはたいてい残っています
やや明るくなってから、駅舎内をゆっくり眺める。やっぱ文化感が濃いなぁと。地元の写真や版画、手作りの繊細な照明器具などは、ほんとに文化部って感じがする。いつまで見回しても、飽きない感じがした。
駅から駅前を見下ろす。広く、ここも意外とさっぱりしていた。駅の中が濃すぎるのだ。横に長い階段、数段上がって駅、というのがたまらなくよい。こんなにも鉄道のステータスを感じさせてくれる構造もない。やはり溜まり場になりやすかったのか、マナーを守るよう促す自警団による立看や、アイドリングするななどという注意板もあった。問題になったのは80年代後半~90年代前半だろうか。今となっては、そんなことがある気配はみじんもない。なので、かつては駅寝するときはなかなかいろいろと心配事もあったようだ。今はそういう若人の活力的行動も見当たらない。
駅構内も意外とあっけらかんとしていた。裏手に工場があるのも、山陰本線では意外によくあるパターンだなと。都野津とか、浅利とか。一日のうち一ばん涼しい時間だから草のにおいをかぎながらホームを歩いても気持ちよいが、もう旅も何日目だ? 8日目となり、ずっと駅寝、ずっと好天のため、なんかもう頭がしんどいというか、ぼんやりするというか…あの雰囲気のいい駅舎にずっと座ってたい感じだ。
こういう駅̪はそうなってないことも多いので
非電化です
浜村、鳥取方
吉野口でも見た気が
なんとなし岩美駅
駅前にはいろいろな道が集まってくる感じで、細道には旧市街的な商店がいくつか残っていた。旅館や食糧品店のほか、ビデオ店や雀荘があるところからすると、この辺りの文化の中心地だったのが窺われた。かつての雀士やビデオ視聴者は、今やネットに移行しているのだろうか? 父は毎週レンタルビデオ店でVHSを3本ほど借りて来ていたっけ。きっと家族生活をそこそこには楽しんでくれていたのだと思う。
その後総理にはなったが…
堰き止められてるんでしょうか
青谷駅周辺は場所によって表情がコロコロ変わって不思議だった。違う通りではまるで道路は中規模都市のようなすすがけ街路樹二車線と公的施設のあるの様相を呈し、あるところでは突然山陰の正体的広漠な砂旅、その連続の一刹那のような道路風景も垣間見られた。それでちょっと僕は混乱する。
結局、海までは出なかった。昨日、さんざ見たからというのもある。9号線と海というのも、想像がついたのかもしれない。
山陰の夏旅では、この駅が最寄となる夏泊半島と夏泊海岸に行こうと固く誓っていたものだ。でもそれは、こんな風に帰りがてらではなく、祝福されるべき自由な夏の西へ西への旅の道中であることを夢想していたのだ。この駅で降りて、3時間ぐらいとどまって、歩いて夏泊まで行って、わが夏よ、その地の名に負うように、ここに永遠にとどまれ! と、言ってみたかった。
僕はこれまで見た美の極致たるいくつも山陰海岸の風景に、溺れてしまって、もはや呼吸できなくなったていた。
僕は帰らねばならぬ。再び山陰の海を心から渇望し、新鮮に映るそのときを待つために ―
青谷駅その17.
けれど、ここでの駅旅はやめられなかった。それは自然と体が反応しているだけだ。それに、今度ここに来るのは5日分からない。2度と来ないということの確立の方がずっと高い。今を生き、今しか見ない。今できることは、確かに、青谷駅を賞美することだけだ。振り返ってみると、本当にそうしてよかったと思っている。
天気は…今日も晴れ。8日間ずっと快晴である。これは、予想してなかった。正直、しんどい。頭がおかしくなりそうだ。もう体は限界である。